依存の代償

最近は便利な世の中になりました。

欲しい物があれば、夜中でも営業しているお店もありますし、移動も飛行機に電車、車と、とても快適です。

分からない事があっても、インターネットなど調べる方法は沢山あります。

本当に、この時代のこの国に生まれて良かったと思います。

一方、そんな世の中でも病気などで困っている人も沢山いらっしゃいます。

当院では、身体の不調などで身動きがとれない方の手助けを、少しでもできればと考えております。

さて、では《病》はどうして起きるのでしょうか。

当院では《依存》が《病》の大きな原因だと捉えています。

例えば、移動のたびに乗り物を使っていると、脚の筋肉が少しづつ弱っていきます。

暇な時にテレビなどを点けてると、自然の音を聞き逃がしたり、自分の身体や精神状態の変化に気づき難かったりします。

そうすると、必要以上に食べ過ぎたり、夜更かしをしてしまいがちです。

健康の基本は、適度な運動、食事、睡眠です。

さらに、偏った性格、固定観念からも《病》は発生します。

この機序は、このブログの『タイトジャンクション』の記事に書いてあります。

どの方にも合わせる事のできる柔軟な性格、対応力は、それこそ前頭葉を空っぽにして、その都度頭と身体の共鳴を変えなければ発揮できません。

また、相手に合わせるという事は、《こうしなければいけない》という固定観念を持っていると、それこそ《病気》になってしまいます。

そこから尋常ではないストレスが生まれるからです。

そしてそれは《依存》とは、《逆》の行為とも言えます。

人を助けようとするには、その為の技術、知識が必要です。

自分の共鳴力を必然的に上げなければできません。

結果自分が成長してしまう訳です。

《依存》はその場は楽ですが、共鳴力を落としてしまい下手をすると《病》になってしまいます。

《人助け》や《仕事》は、自分の出来る事を増やし、共鳴力をあげるのです。

《神とはこの世界全てであり法則の事で、人や物はその火花である》という言葉があります。

これは、自分の都合のいいように神頼みしていると、肝心な時に自分を信じれなくなるという側面もあるからではないでしょうか。

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